朝ドラ「まれ」で有名になった女優・清水富美加さん。
急な引退。
そして宗教法人「幸福の科学」への出家

そして本人告白本
Amazonで1位の本の出版。

著書の中で清水は「本当に社長のことを殺したいって思ったりします」と、マネジャーに話したことを告白した。「仮面ライダーフォーゼ」の撮影で忙しかったころのことで、休みがなかった上に、給料は5万円で源泉徴収を引かれると、手元に残るのは4万5000円ほど。「どんどん社長への怒りがたまっていきました」と、当時を振り返った。
引用:Yahoo!ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170217-00000542-sanspo-ent

そんなこと本に書かいてはいけないように思う。
この行為は本当に出家する人であれば、宗教が目指すことから真逆しているように思う。

こんな気持ちでいたのだと思うと
今までCMやらバラエティーでおちゃらけて明るく演じていた姿が痛々しく感じられる。

本人から見た世界と実際の世界。

確かに、その芸能事務所レプロも「あまちゃん」で有名になった能年玲奈さん(改名して今は「のん」)とゴタゴタがあったので問題はあるとは思いますが、相当の温度差があるように思う。

出初めの頃は給与が月5万で、今は年収1000万以上とあると言われている(実際はわかりませんが)

今回の本人の吐露。
本を購入して読んだのではありませんので具体的には分かりませんが
何か、自分の意思でなく他人の意見に翻弄され他人の意見が自分の意見にすり替わってしまっているように思う。

もし仮に、同じ立場で、その人がお笑い芸人だったらどう感じていたのだろうかと思う。

この宗教団体は
宗教法人・創価学会の公明党のような二番煎じのように政界進出。学校設立を目指している模様。
今流行の前世、過去世、守護霊などスピリュチュアルのブームにものっている

笑ってしまうのは
その当人の守護霊が話したという霊言。

生きている人の霊言を出版してる(笑)いかがなものか?
この守護霊メッセージに相当影響されたのだな。読んでいませんが・・・

今流行の歌に便乗して・・・(笑)
呆れてものも言えません。

知らないで星野ファンの人が買ってしまうかも・・・というより
それで信者獲得狙っている?

その団体の教祖である大川さんに呆れている元信者もいるらしい。
「(幸福実現党が)選挙で惨敗したこと、大川総裁が“永遠の愛で結ばれている“と言っていた妻と離婚、若い女性と再婚したこと、教義がコロコロ変わって、幸福の科学と言っているが、幸せになったという実感が無かった」と脱会したきっかけを明かした。
引用:Yahoo!ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170215-00010000-abemav-ent&p=2

本人の親が幸福の科学の会員で、本人は宗教二世だそうだ。
小さいころから自分の意思でなく、そのような場所に出入りしていれば、そこには不信感か、もしくは盲信の2つの道しかないように思う。

私が思うに本人は後者のように思う。
純真さゆえに、全てを真偽せずに受け入れた。

宗教という概念は必要ないと思う。
敢えていうなれば
人生そのものが宗教で、一人一人が生きてること自体が宗教。
敢えて〇〇宗教に帰依する必要はないように思う。
生まれてきた自体が宗教。人類すべてが皆兄弟。

そう思う。

もし仮に前世があって、守護霊がいたとしても
それはそれ。知る必要もない。

今生きている自分。
今どう行動して、
そして、
今どう思うかが肝心。

また前世が分からないことにも理由・訳がある。
霊のことが分からないようになってるのも訳がある。

霊の世界は広大な三千世界。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)も沢山。
迂闊(うかつ)に興味をもったり、近寄らない方が良い。

だからこそ
前世・守護霊が分からなくて
現世で自分の力で生きることが
本当のスピリュチュアルではないのかと思うこの頃。

信仰と狂信は紙一重。

本人は自分の意思で信じて行動していると思ってる。
自分は正しい。間違っていないと・・・

なぜ(出家は)今なのか? という問いには「今やめないと、ほんとに死にそうだったからです」。洗脳との風評には「洗脳上等だよって感じですね。洗脳されてるんじゃなくて、されるのを選んでるんだっていう気持ち」と説明した。

清水さんが自分の心を取り戻して
出家でなくて在家で
自分自らで生きることができるように祈るばかりです。

私の座右の銘

ブッタが言ったとされる

「自燈明、法燈明」(じとうみょう、ほうとうみょう)

ブッタ(お釈迦さま)が入滅(亡くなる)する時、
弟子たちが、「これから何を支えに生きてゆけばいいのでしょうか?」と尋ねた時に、
「自らを灯明とし、自らを依処として、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなかれ」と指導したという言葉。

つまり「ブッタその人自体にすがるのでなく、自分の心に従い、教えをよりどころにして生きてゆきなさい」ということ。


ブッタは死後自分を偶像化してはいけない、拝んではいけないと厳しく戒めたと聞いている。

宗教はどうしても教祖を祭り上げる。社会自体がそうですね。先生、社長・・・・



ちなみに、
私はどこの宗教には所属していませんよ。


まあ
今の私の立場で言える義理ではありませんが


dogeza

誠にすみません。
上から目線で。


かしこ

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