三毛の助です。
昨日も晴天。
今年は以前の5時起きウォーキングそして朝にを浴びてストレッチ、マインドフルネスをする
と決めたのに起きれず・・・自分に負けています。
家でしなくていけない(青色申告などなど)こともあるのだが気がめいってしまい郊外にあてもなくドライブに。
やることがないのも苦痛で不安になりますね。
でも忙しくなると時間が欲しいとなる。
そして時間があればボーとして無駄に時間を浪費してしまう自分です(笑)
郊外の山並みが見えてきたので、駐車してウォーキングしようと車から降りた。
すると登山口と看板があり登ってみることにした。
もちろん軽微な散歩の軽装で、ハイキング感覚で出発。
暫くしたらネット度調べてみたら結構な工程。
やめようかと思っていたのですが、何か正月にやりだしとことを成し遂げないで中途でやめることは何か正月早々縁起でもないと思い直して、挑戦する事にした。
するととんでもない状態。(笑)
急こう配の道なき場所もあり、やってまったと後悔もしたが登ることにした。
登山者が数組いて、すれ違いましたが、
皆さん登山の正装で登山靴に登山服、そしてリックの重装備で、皆さん怪訝そうに私を見ている。
今更ながら全く場違いな状況に気づく。(笑)
私はというと、運動靴、ジーパン、セーター、財布など入れたボディバック(笑)
まさに散歩の叔父さん状態。(笑)
全く場違いな様相で恥ずかしかったが引き返す気にもならず進んだ。
まず最初の数分で肩で息をしている。それほど体力が無くなっていることに驚く。
今年は体力、筋力をつけよと思った。
木漏れ日の中の温かい日差しに幸せを感じる。
一方、誰もいない山中を歩いていると正月早々何をしてるのだと孤独感も湧く。
けれども、もしかしたら自分は独りが好きなんではないかと思い返した。
そう、人との交流が少ないのは、もともと団体や集団が苦手で好きではなかった。
もちろん、社会に出ての社交性は身につけて会社の付き合いや、宴会の幹事やら色々な付き合いがあったが根本は独り好きなのだと改めて感じた。
人の標準(?)からそれている自分がおかしいと思うことが孤独につながるのかな?そんなことを考えながら苦しみながら登った。
分岐点に来てあと2Kmとある。
見上げると急こう配が続く。
歩数を多くして歩幅を少なくして歩く。
人生もそうだった。
直ぐ結論するのでなく、少しゆっくりと生活して時間をかけるのも必要だったのではないかと・・・
苦しい、けど引き返したくない。そんな思いで登った。
正に登山は人生。
いつも途中で下山していた人生だと思った。
苦しくなると諦めて下山していた。
その時は歩幅を少なくして、ゆっくりと歩く。
その歩調を遅くするだけでもいいのだ。
そんなことを思いながら歩いた。
怪訝な顔する登山客にもこちらから元気に挨拶した。
「こんにちは」
相手は返答する人、しない人いたが、それでいい。
今まで自分は自分から声を掛けていただろうか?そう思った。
人生もそうだ。
相手がどうであろうと、待っているだけでは機会は半減する。
自分の人生はどうだったろうか?
あまりなかったように思う。
世渡りベタ。というか余り関わりたくない派だった。
無理してそうるすか?しないか?悩むところだ。
自然のままにでいけば、関わらないままで過ごす。
一体自分の寂しさはどこからやってくるのだろうか?
独りでいたいが寂しい。
人と本当に交流したいと思っているのか?
自分で本当の本心の自分がこの歳になってもわからないでいるモラトリアム。
人生には一人だけの理解者がいるだけで生きてゆける。
そう言った人がいる。
それの究極が夫婦なのだろう。
大勢の友より、親友の一人。
確かにそう思う。
毎日、信じられる思える人がいるだけで生きてゆける。
独身芸能人で親が無くなって憔悴しきっている姿など見て不思議だったが、親がその人だったのだと今なら思える。
その唯一無二のたった一人の友がいなくなる孤独感というのは私の今の孤独感の比ではないでしょうね。
離婚した人が言った
「三毛の助のずっと独身の孤独と離婚した孤独は次元が違う」と怒られたことも思い出した。
妄想と苦しさと交差しながら一歩一歩踏みしめながら
やっと山頂についた。
眺めは良かった。
最高の青空と太陽。
でも多数いる登山客はまるで以前からの仲間のごとく話し合い、コーヒーを沸かして飲んでいる。
私もためらいながら「こんにちは」「いい天気ですね」と声掛けしたが一声されるだけで相手にされなかった。
自分としては、声掛けしてもらいたかったし、せめてコーヒーの一杯でもいかがですか?と声を掛けてもらいたかったのだろうな。と自分の心を知った。
まあ全く場違いな格好をしているオジサンに怪訝な思いがあったのかもしれない。
何か集団の中に1人孤立している気まずさがあり、皆長く滞在しているであろう山頂を数分で辞退した。
正に自分の人生そのものを象徴しているようにも感じた。
登山者は皆すぐ仲間になるのでしょうかね?皆違う場所から来ていたようで話していましたが、傍から見ていると皆知り合いで来てのかと思ったほどでした。
私は変な人と思われたのでしょうね。
登りも大変だったが、下りも大変で膝がおかしくなる。
下山が大変なのも知っているが急こう配の為、蛇行下山がなかなかできなくて苦労した。
人生幕引きも焦らないでゆっくりとしなくては・・・
走行5時間(笑)
10時に登り始めて下山したのは15時(笑)
馬鹿ですね。(笑)
散歩で登山。(笑)
でも良しとします。
諦めずに登り切った。
山頂にいた人は飽きれていたでしょうね。(笑)
正月に登り切った散歩登山(笑)。
良かった。
今年は下山せず登り切る人生にしたい。
追伸
富士山で亡くなる人がいる。登山を甘く見てはいけない。
それは分かっております。
日本で2番目に高い南アルプス北岳には登りました。
追追伸
年末作って(作ったと言えるのか?)食べた年越しそばの写真UP忘れたのでします。
ただ、ネギ切ってシソ切って蒲鉾切って、ソバ湯がいて
揚げと揚げ玉を入れただけです(笑)
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昨日も晴天。
今年は以前の5時起きウォーキングそして朝にを浴びてストレッチ、マインドフルネスをする
と決めたのに起きれず・・・自分に負けています。
家でしなくていけない(青色申告などなど)こともあるのだが気がめいってしまい郊外にあてもなくドライブに。
やることがないのも苦痛で不安になりますね。
でも忙しくなると時間が欲しいとなる。
そして時間があればボーとして無駄に時間を浪費してしまう自分です(笑)
郊外の山並みが見えてきたので、駐車してウォーキングしようと車から降りた。
すると登山口と看板があり登ってみることにした。
もちろん軽微な散歩の軽装で、ハイキング感覚で出発。
暫くしたらネット度調べてみたら結構な工程。
やめようかと思っていたのですが、何か正月にやりだしとことを成し遂げないで中途でやめることは何か正月早々縁起でもないと思い直して、挑戦する事にした。
するととんでもない状態。(笑)
急こう配の道なき場所もあり、やってまったと後悔もしたが登ることにした。
登山者が数組いて、すれ違いましたが、
皆さん登山の正装で登山靴に登山服、そしてリックの重装備で、皆さん怪訝そうに私を見ている。
今更ながら全く場違いな状況に気づく。(笑)
私はというと、運動靴、ジーパン、セーター、財布など入れたボディバック(笑)
まさに散歩の叔父さん状態。(笑)
全く場違いな様相で恥ずかしかったが引き返す気にもならず進んだ。
まず最初の数分で肩で息をしている。それほど体力が無くなっていることに驚く。
今年は体力、筋力をつけよと思った。
木漏れ日の中の温かい日差しに幸せを感じる。
一方、誰もいない山中を歩いていると正月早々何をしてるのだと孤独感も湧く。
けれども、もしかしたら自分は独りが好きなんではないかと思い返した。
そう、人との交流が少ないのは、もともと団体や集団が苦手で好きではなかった。
もちろん、社会に出ての社交性は身につけて会社の付き合いや、宴会の幹事やら色々な付き合いがあったが根本は独り好きなのだと改めて感じた。
人の標準(?)からそれている自分がおかしいと思うことが孤独につながるのかな?そんなことを考えながら苦しみながら登った。
分岐点に来てあと2Kmとある。
見上げると急こう配が続く。
歩数を多くして歩幅を少なくして歩く。
人生もそうだった。
直ぐ結論するのでなく、少しゆっくりと生活して時間をかけるのも必要だったのではないかと・・・
苦しい、けど引き返したくない。そんな思いで登った。
正に登山は人生。
いつも途中で下山していた人生だと思った。
苦しくなると諦めて下山していた。
その時は歩幅を少なくして、ゆっくりと歩く。
その歩調を遅くするだけでもいいのだ。
そんなことを思いながら歩いた。
怪訝な顔する登山客にもこちらから元気に挨拶した。
「こんにちは」
相手は返答する人、しない人いたが、それでいい。
今まで自分は自分から声を掛けていただろうか?そう思った。
人生もそうだ。
相手がどうであろうと、待っているだけでは機会は半減する。
自分の人生はどうだったろうか?
あまりなかったように思う。
世渡りベタ。というか余り関わりたくない派だった。
無理してそうるすか?しないか?悩むところだ。
自然のままにでいけば、関わらないままで過ごす。
一体自分の寂しさはどこからやってくるのだろうか?
独りでいたいが寂しい。
人と本当に交流したいと思っているのか?
自分で本当の本心の自分がこの歳になってもわからないでいるモラトリアム。
人生には一人だけの理解者がいるだけで生きてゆける。
そう言った人がいる。
それの究極が夫婦なのだろう。
大勢の友より、親友の一人。
確かにそう思う。
毎日、信じられる思える人がいるだけで生きてゆける。
独身芸能人で親が無くなって憔悴しきっている姿など見て不思議だったが、親がその人だったのだと今なら思える。
その唯一無二のたった一人の友がいなくなる孤独感というのは私の今の孤独感の比ではないでしょうね。
離婚した人が言った
「三毛の助のずっと独身の孤独と離婚した孤独は次元が違う」と怒られたことも思い出した。
妄想と苦しさと交差しながら一歩一歩踏みしめながら
やっと山頂についた。
眺めは良かった。
最高の青空と太陽。
でも多数いる登山客はまるで以前からの仲間のごとく話し合い、コーヒーを沸かして飲んでいる。
私もためらいながら「こんにちは」「いい天気ですね」と声掛けしたが一声されるだけで相手にされなかった。
自分としては、声掛けしてもらいたかったし、せめてコーヒーの一杯でもいかがですか?と声を掛けてもらいたかったのだろうな。と自分の心を知った。
まあ全く場違いな格好をしているオジサンに怪訝な思いがあったのかもしれない。
何か集団の中に1人孤立している気まずさがあり、皆長く滞在しているであろう山頂を数分で辞退した。
正に自分の人生そのものを象徴しているようにも感じた。
登山者は皆すぐ仲間になるのでしょうかね?皆違う場所から来ていたようで話していましたが、傍から見ていると皆知り合いで来てのかと思ったほどでした。
私は変な人と思われたのでしょうね。
登りも大変だったが、下りも大変で膝がおかしくなる。
下山が大変なのも知っているが急こう配の為、蛇行下山がなかなかできなくて苦労した。
人生幕引きも焦らないでゆっくりとしなくては・・・
走行5時間(笑)
10時に登り始めて下山したのは15時(笑)
馬鹿ですね。(笑)
散歩で登山。(笑)
でも良しとします。
諦めずに登り切った。
山頂にいた人は飽きれていたでしょうね。(笑)
正月に登り切った散歩登山(笑)。
良かった。
今年は下山せず登り切る人生にしたい。
追伸
富士山で亡くなる人がいる。登山を甘く見てはいけない。
それは分かっております。
日本で2番目に高い南アルプス北岳には登りました。
追追伸
年末作って(作ったと言えるのか?)食べた年越しそばの写真UP忘れたのでします。
ただ、ネギ切ってシソ切って蒲鉾切って、ソバ湯がいて
揚げと揚げ玉を入れただけです(笑)
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コメント
コメント一覧
コメ有難うございます。
> 私も散歩が好きですがびっくりしました。
ですね。
バカ者です私は(笑)
> とっても寒そうです。
暖かかったです。
登って体が熱くなり、更に小春日和でした。
> 確かに気持ち的には登りたくなりますね。
> 無事に帰ってこれて良かった。幸先の良い出来事でしたね。
確かにそうですね
今年は途中下山しないように頑張ります
とっても寒そうです。
確かに気持ち的には登りたくなりますね。
無事に帰ってこれて良かった。幸先の良い出来事でしたね。